俺ADHDなんじゃね?
と思い立ってから
カウンセリングを受け、
↓
投薬を体験し、(←前回記事)
↓
最終的に自分が心理師になろうとして
↓
会社を辞めた私ですが。。
退職後は、結構心持がよく、
お薬飲むのも止めてしまったので、
今日はそのことについて語ります。
投薬をやめた

その薬、ちょっとタイム。
オクスリ飲むのやめました。
飲む必要がなくなったからです。
かつて、私は結構
「段取り」を要求される仕事についていました。
無論、ADHDの傾向を持つ僕には、苦手となる仕事です。
(それがきっかけで自分の特性に気付けたのもありますが)
ですから、その仕事を処理すべく、
自分をスーパーモードに高めるため、投薬をしていたわけです。

スーパーモード。
ですが、その仕事を辞めてしまえば、
スーパーモードになる必要もありませんから、
薬を飲む必要もなくなる、ということです。
「治った」わけではない

ふふふ
つまり、薬をやめたのは、
「治った」からではありません。
今だって、
- まあまあ忘れ物するし
- 部屋はめっちゃ汚いし
- ちょこちょこ遅刻するし
それなりにわちゃわちゃ暮らしてます。
でも、おかしいですよね、
治ってないのに、薬止めるって。
インフルエンザ治ってないのに
薬止めたら大迷惑ですもんね。
ここが、発達障害の面白いところです。
この前読んだ雑誌の面白かったところを引用しますね。
そもそも発達障害の概念は、生物学的にのみ定義されているものではない。
(中略)
生物学的な認知や行動の偏倚と、それに伴う日常生活上の困難の両方が備わっていることが「障害」となっている点で、多くの医学的な病態診断とは異なっている。
(岡田,2017)
これってつまり、
環境が変わって「日常生活上の困難」がなくなれば、
「障害」はなくなる
ってことだと思うんです。
だから、例えばですけど、
めっちゃ暴力振るう行動障害の人も、
殴った方がいい社会だったら、治療の必要はないし、
めっちゃ盗む人も
盗まないと生きていけないような社会だったら、
治療したら死ぬわけです。
環境を変えて解決することもあるんですね。
結局、症状が緩和された

逆にね。
精神的な余裕が出てきたのか、
ADHD的失敗をすることが減りました。
忘れものとか遅刻とか、昔よりは減っています。
(0ではないですけど)
仕事辞めてから始めたアルバイトも、
1年近くにこやかに続けております。
薬止めても、環境を変えれば、
いくらか改善されるという一例でした。
薬=悪ではない、と思う

薬の是非、シンキングタイム。
これは僕の価値観なんですが、
薬=悪
ではないと思っています。
こんな「薬いらない!」みたいな記事書いといて恐縮ですが、
薬でなんとか適応的に生活できてる人もいるだろうし、
僕も薬に助けられた張本人です。
なんですけど、
こういう話題を追っていると、
しばしば
「薬漬け」
という言葉に出くわしますよね。
あの言葉は個人的には嫌いです。
言葉自体のイメージが悪すぎて、
薬=悪 という先入観を植え付けられそうだからです。
不必要に下品ですよね。
「漬け」ってなんやねんと。
ご飯と併せて食ったろうかと。
薬で生活が適応的になる人もいます。
一方ならない人もいると思います。
そういった二面性にも拘わらず、
片方に決めつける姿勢が好きじゃないんですね、多分。
まとめと注釈
環境変化と投薬の中止について書きました。
これはあくまでも、僕個人の話です
これだけは、わかっていただきたいです。
今服薬の副作用で厳しい思いをしているあなたが、
会社を辞めたからと言って、
服薬が終了するとも限りませんし、
仮に終了したとしても、
退職によって首が回らなくなる可能性だってあります。
慎重を期してご判断なさるよう、
どうぞよろしくお願いいたします。
お読みいただきありがとうございます。
すけっちでした。
<参考文献>
岡田俊(2017)「変わりゆく発達障害の概念」,『臨床心理学』17(3),p.303,金剛出版
コメント
[…] この記事でも言いましたが、 […]